お盆休み~9連休~とか

という謎の言葉を聞きながら
ブログかいています(笑)

この前 頭の中でよぎったのですが。。
おばあちゃんの言葉。

昔の都市を表すにこんな表現があります。


江戸の・・・八百八町

京都の・・・八百屋寺

では
大阪の・・・→しってますか?

大阪といえば
川を交通網の一つとして
安土桃山時代の頃から整備されていて

そう
川があるという事は
橋が多い。。

そう
大阪の・・・浪華八百八橋というんです

大阪川



戦前までの写真を見ると家の横に川が流れ
裏の出入り口からそのまま川に降りて船に乗れる
ように工夫された光景もよくありますよね。

それくらい、大阪では
川と密接した生活が行われていたようです。

さて、
実際に八百八もの橋があったのか?
というと実際は200程しかなかったらしいのですが
そこは
それくらい橋の数が多いという比喩表現でした。
ほら、ちょっと 大阪人って盛って表現しますやん??

そこまでは掴みなんですが
では、なんで
八百八橋が東京(江戸)へのライバル心なのか。。

さて、つらつらつら~って書いてみますね。

実は大阪にかけられた橋
その橋、その殆どが
大阪商人たちが【自腹】で作ったものだそうです。

江戸 つまり、東京には

当時の幕府 
明治以降の 政府
があり、

中央政権の目が届くおひざ元 東京では国が国として
橋を架ける事などは 
公儀として面倒を見てくれるんですが
遠く離れた大阪では当然目が届かないので
苦しみの声を上げても中央体制にはそっぽを向かれます。

そこで
大阪の人間は自分たちでやらなきゃいけない!
政府の奴らなんてあてにできない!

といった
文化になったと考えられています。←諸説あり(笑)

だからなのか、
大阪の人間って、【大阪】とか【なにわ】って言葉が付くと
ちょっと応援したくなっちゃいません?(笑)
これって
脈々と受け継がれたDNAに組み込まれているのかもしれません♪

ちなみにわれらが
淀川区に関してはあんまり文献が残っていないようでした。。

十三の橋


また見つけたら
書き足していきますね。

ちょっと、歴史探訪でした。

では、よいおやすみを~!